「女の家庭」が批判される理由

仏事に色々とうるさい父が、実の妹(私の叔母)の一周忌を欠席する事になった。

父は兄弟では出席するつもりで、母も久々の仙台を楽しみにしていたが、亡き兄の妻で、家業の醤油屋を継いでいる兄嫁が、

「東京から来ることないよ。仙台のものだけで行っておく」

と言い出したから、任せるつもりになっていた。ところが、妹の夫のO氏から、丁寧な封書の案内状が届いたから、話がややこしくなった。

父は在京の弟と打合せ済みだったから、匙を投げてしまった。O氏と醤油屋の叔母との疎通が悪かったようで、さっき義姉に

「Oのマザコンぶりには困るな!」

とかなんとか、電話で話していた。醤油屋の叔母はもう3月の法事は「体調不良の為欠席」するそうだ。

父の妹には二男いるが、長男は障害者で、その従兄に私は会った事がない。祖母や祖父の法事の時は、叔母ではなく、O氏がやってきて、悪名高い三男の嫁の叔母と、不謹慎にべらべら喋って帰っていく。O氏は叔母が実家のイベントに出席をするのに、快く出してあげる甲斐性のある人ではなかったみたい。

O家の従兄たちにしたら、こういう機会に親戚付き合いをしたい、と考えているに違いないし、私も会いたい。

でも老人たちがこういう事では難しいな。

私は「醤油屋の長男のおじさんが存命だったらこういう事にならなかったのにな」と思った。


…話は少し変わる。
最近、知り合いで娘さんふたりの家庭のお父さんが、心不全で亡くなることが続いた。

ひとりはお隣で、ひとりは友人の父。

どちらのご遺族のお母さんと姉妹は、ショックのあまり密葬にしちゃったんだよね。

父は
「俺たちだって故人にお別れを言いたかったよな。女たちは葬式を“ご迷惑だろう”と言って簡略化しようとする。家族だけが故人の死を悲しんでいるというのは、遺族の驕りだ。」

そう言って憤慨したが、私も同感だった。

あと、実家の管理人さんが亡くなった時に、その時理事会だったおばさんが、父に訃報を知らせなかった事も、父は憤慨していた。

醤油屋の叔母も仙台ではゴッドマザーだか、次世代の子供も増えて、在京の義弟たちには最近気配りも出来なくなっているのだろう。

最近こういう事が続いて、女は葬式に疎いんだと感じる。銀行では支店長って、葬式ばっか行ってるイメージがあるけど、相対的に葬式に対する認識が女は甘いんじゃないか。

「父親がいない家庭」が批判されるのではなく、「父親を失った時」の対応が批判されるのではないか。

葬式を怠っていると、世間的な付き合いだけではなく、親戚付き合いも無くなって、世帯の核化が進んで、益々人間って孤立していくんじゃないかなぁ