猿之助が訪ねた 民芸・魯山人・半泥子
紅衛兵に囲まれているような。そんな心理状態に風邪ひいて、大変しんどかったものの、アイス食べたら気分も咽もよくなったりして。しかし、まだ変な声ですね。
まずは、民芸のお店「たくみ」。社長は志賀直哉の甥。
次は「黒田陶苑」。北大路魯山人の器を扱うお店。
最後は、猿之助の祖父や大叔父中車が愛した料理屋「はち巻」。ファミリーヒストリーに出てきた先代市川中車の娘、貞子さんは93歳でラスベガスで存命で、このお店を懐かしんでいるとか。「はち巻」さんは前任店のお取引先でもありました。
銀座の成り立ちを説明するコーナーでやはり前任店のお客さま「越後屋」の永井社長が登場、懐かしかった。
「たくみ」の社長が魯山人について、
「魯山人の作品と、元になった安土桃山の作品を並べた展覧会を見たときは『みなきゃ良かった』と思いました」(笑)
と話したため、急きょ「黒田陶苑」では、魯山人と乾山の作品を比較…志賀社長のおっしゃる事は正しい(笑)
しかし黒田社長らによると、魯山人の「様式写し」(模倣)は、陶器を磁器で再現したりしていて、なかなか凄い!との説明。
「中嶋」では魯山人の器で懐石をいただける。こちらのお店の食器は比較的シンプルなものが多かった。実際に使う事を想定したというが、いろんな作品があるんだなぁという印象。
…支店が多い「天一」が半泥子と交流があったのも意外。
初代社長は昭和五年に日本橋で独立したが、二年後に銀座に店を移す。ほどなく半泥子が客としてやってきた。「天一」は資金を使い果たしていたが、使っている食器や調度は「筋がある」と半泥子は誉めた。そして、自作の食器をただで分け与えた。
「天一」はごま油とサラダ油を混ぜてさっくりと揚げる新しい天ぷら。野菜天ぷらを始めたのも矢吹社長。
「天一」の専務も板さんも粋な事は同じだったけど、どことなくひょうきんだった。比較的安価で良質な天ぷらをめざしている企業コンセプトも、半泥子は愛したのではないか。
「半泥子好きだなぁ」
と言っていた。私も「天一」に行きたくなった。
冒頭の「たくみ」の社長が、
「漆器については、あと10年で作り手がいなくなる!」
と警鐘をならしていた。漆は「買い」ですね。
お金がたまったら、伝統工芸展で漆器を買おうかな。