『負け犬』の概念を分解せよ
いっぱい医者にかかっているくせに、あまり悩みを相談できないでいる実態。
先週の「認知行動療法」の時間に、「繰り返し自分を苦しめている事件」について書くように、というお題が出た。
だめもとで、
『自分はいわいる“負け犬”(35過ぎて子なしは負け犬)である上に、2回も休職しており、糖尿などの病気である、だめな人間である』と書いてみた。
…これは、事件でも感情でもないし、なかなか崩すことは講師の先生でも出来ないだろうなぁ~と書いて、泣いていた。
『コービング』の所にまず「涙が枯れるまで泣く」と書いた。
先生は、アセスメントシートが出来た人から見せて下さい、と言って、ひとりひとり見せていたが…今回はかなり苦戦。
最近加わった、30代の男性がまだ「認知行動療法」の要領を得ず、時間がかかっているのを見ていて、
(一年半前にきたとき、あの人みたいに私も認知行動療法の要領がわからなかったなぁ)と思って見ていた。
それから、(一年半このプログラムに参加しているけど、遂に40代の独女休職中の患者には廻り合わなかったなぁ~)とも思った。
休職中の人と話して、なるほどと共感する事は多いけど、型にとったように凹凸が合う人なんて、いるわけないよなー
居たとしても、収入とか待遇とか比較して、優越感に浸ったり、ひがんだりして、よくなかったかもー
全く同じ悩みの人間なんていないから、ある意味『汝自分自身を癒せ』じゃないけど、自分でなんとかしないとならない部分があるよなー
…と考えて楽になってきてしまった(笑)
新しい患者さんに感謝の気持ちが出てきた(笑)
それを書いて講師に見せたら、
「『認知の再構成』が出来ましたね!」
と言ってもらえた。なんとなく、テクニックは分かってきたみたいだ。
「認知行動療法」は「ものは考えよう」のテクニックを学ぶ療法だ。症状が悪い一番苦しいときは思考に柔軟性がないから、なかなかこれが出来ないし、講師の先生のやっている事が全然理解できない。
私が、だめな人間である事実に変わりはないけど(笑)今回は、楽になれた。
自分の欠点は認める必要があるけど、あまり責めてばかりいると、健康を損なう。
何事もほどほどだ。