【忘備0514】

…という事で、大手町の診療所のアツコ先生の面談。

あんまりアテにしていなかったんだけど、

「実は、もう書類できていて、あとは日付を入れるだけなんです。今日欲しいですか。それとも後日?」

と書類の端を見せられたから、


「あー‼なんか、上司は“人事部と電話で調整するのか大変なんだよね~”と言っているので、是非是非いただきたいですー!」


と主張した(笑)
…後日って、また1ヶ月後??

「その方が上司の方と所長先生がお話し合いしていただけるわね」

…てな感じで、今回はこれからの面談プロセスの手続き。

アツコ先生が上司に情報開示していいか、の同意とか、

上司から診療所長先生にアポイントとって貰って、3人で会うとか、

アポイントは大手町の保健師さんに取るが、診療所長の診察はまだ内幸町でしているのだけど、七月以降は大手町に移るかもしれない、など

そんな事を説明された。

アツコ先生がようやく書いた「復職可能」の診断書は、上司に渡す前にわたしがコピーして良いものだったが、
保健師さんのコピー機が壊れていたから、あとで課長にコピーしてもらう事に。

アツコ先生はあと
「これは、渋谷の院長先生に渡していただく経過説明です。開封はできませんが、わたし、院長先生とは特に親しい関係なので書きました」


と言って封書を一通託された。

“親しい関係の医者”には書くのか?とか、
“余計な事書いてないよね~”とか思ったけど(笑)まぁ黙って受け取った。

去年の復職プログラムの経過は、渋谷の院長の方にはもっとちょくちょく報告してるけども。
まぁ、変な影響がないとよいな。


無呼吸のシーパップの装着で、無呼吸の回数が過去最低の数値だった、と前日のはなしをしたら

「油断しないで」

と言われたが、糖尿と違って器具まかせのデーターに、“油断もなにもないじゃん”と内心ムッとしたので、表情に出さないようにしたよー。

アツコ先生は、前回は「私は主治医でも産業医でもないし、もうショウジさんは私の手を離れる」といわんばかりだったが、

何故か「所長先生の面談が終わったら来てください」と言われた。まあ来るつもりだったけど、相変わらす矛盾だらけだなぁ(笑)


連絡バスで、内幸町に移動して、課長と部長に報告した。

課長は快く診断書のコピーをとってくれた!

「なんか本部の方々がたくさん元帳をご覧になってますが、業務監査ですか?お忙しいところすいません」

「あ、指導チームだから、そんなに忙しくないよ」
と課長。

部長は
「げー‼所長先生も大手町に移るの?めんどくせー(笑)」
言った(笑)


「たぶん所長先生の面談って月曜と木曜しかなかったと思った!

それに、3人で会う面談も、一回でオーケーでない可能性も強いみたいだから、そのつもりでいて。

うーん、指導チームで呼ばれてるから、ショウジさん、保健師さんへの電話来週でイイ?


アツコ先生の面談日とか考えると、復職は8月かなぁ~?」

なんて言われた。


あと繰り返しに
「ショウジさんには担当業務を持ってもらうつもりでいる」
と言われた。

めちゃプレッシャ~だ。

はっきり言ってそんなもん10年くらい持ってなくて、有り得ない汚い雑用はこなしていたけど。

伝票を時間内に間違えなく回す、とか、そんな事やれるのかなぁ???

前から「主任が足りないから、早く元気になって印鑑押して欲しい」って言われてるけども(笑)

課長や部長の応援に応えるには、それしかないのだ。


私は、間違い易いから「再鑑」のところは、時間がかかっても、「再々鑑」するつもりではいるけど、

ブランクは永いし、老眼は進んでいるから不安がいっぱい。

でも昔、父に、
「銀行の事務の仕事なんて誰でも出来るはずだ」
なんて言われたな。

ほんと、上司たちには「部下扱い」して貰ってありがたい。


………
実家に帰宅したら、楽しみにしている区民プールの「水中エクセサイズ」に間に合った!


それから、語学の勉強。

語学は4月から中国語を始めた。生活時間の管理もあって、毎日殆ど聞くのを欠かしていない。

はっきり言って、教材としてはイタリア語に比べ分かりにくいものだけれども、

「せっかく聞いてるんだから、覚えたい‼」

という気持ちになった。

今週、かなり復職したら、発音はまだまだだけど、文法や“簡体”っていう中国語特有のみょうちくりんな漢字がかなり分かるようになって、嬉しくて、嬉しくて、


嬉しいから、もっと理解したいって考えるようになってきた。

人間って不思議なものだ。