うちの会社の「鉄砲玉」たち

今日は例の面接だった。
時間を潰すために、自動販売機のコーナーで休んでいたら、最近5年くらい隣の課だった二歳上の男性と会った。会釈しただけだったけど、クールな顔を弛めて懐かしい表情をしてくれた。

この男性は一番年が近かったから、今の私の状況を聞いてくれるにはもっとも相応しい?人だけど、暑苦しいのが嫌いなの知っていたし、他の人もいるから止めておいた。


先輩は「鉄砲玉」になってしまった人である。「鉄砲玉」というのは体裁つけた正式名称は「交換人事」。「たすきがけ人事」なんかと同類の、合併の時に行われた人事の取り組みの名残だ。


先輩ははっきり言って、富士銀行から敵地の第一勧銀に送り込まれた「鉄砲玉」なのだ。ヤクザ用語!(笑)ヤクザで抗争があるときに最初に行かされる「若い衆」が「鉄砲玉」っていいますな。

それなりに優秀だけれど、今までの人脈など分からないところに配置されたのだ。ある意味「さすが富士」「さすが第一勧銀」といわれなきゃならない性格もあるから、称賛と同情を込めた名称なのだ(笑)昭和のころはリストラなんて野暮な言い方はしなかったんだな(笑)


第一勧銀の場合は、「合併の時に『鉄砲玉』ってひどい制度があったんだよ~」と伝説的にわたしでも聞かされていて、自分達アラフォーがそのターゲットになってしまったが、

富士銀行の人は伝説がなかったろうから、さぞや大変だったろう。第一勧銀のアラフォーは、合併以前にふるいに掛けられていたフシがあり、「交換人事」組は、外為やローンのスペシャリストになっていたけど、富士の人はそうならず、営業マンからいきなり預金為替担当になった人が多かった(不確かな印象ですが)。


前任店の銀座の支店から同じ課に転勤してきた別の富士銀行系の「鉄砲玉」の一才上の男性がいたが、おじさん達がいい含め、悟らせてくれたようで、上手く立ち回っていて、早く昇進できたが、今日再会した先輩は誰ともつるまず、孤立する事を怖れなかった。


この二人は、20代の時に同僚らしかったけど、二人は会話している事はなかった。

「交換人事」の対照になったのは、60代の先輩と、アラフォーだけだから、50代も30代も本当の苦しさは分からないだろう。

二人とも優秀で、みずほ銀行になってからの忘れられない御世話になった先輩だ。